途端、世界からすべての光が失われ、かれはたったひとりの暗渠に取り残された。 外部から受けた激しい衝撃は、聖域と呼んで差し支えのないかれを包む空間すら浸食した。金属か、あるいは金属に近い何かとしか形容できない材質で出来ている外壁が悲鳴を上げる。壁に密着しているかれの身体は、暴風雨に晒された木の葉のように揺さぶられた。 喉の奥で爛れたような痛みが生まれる。鳩尾あたりから駆け上がってくる感覚を押しつぶそうとかれは呻いた。 手で口を押さえようと身体を動かすが、上手くいかない。いまだ激しい振動が空間を満たしている。相殺装置は働いているはずだったが、許容量を超えれば仕方がない。人間でなくとも限界は存在する。当たり前のことだった。 そしてかれは、その当たり前の前に膝を屈しようとしていた。 すぐ側で自分を励ます声が響いているはずだったが、かれには一片も届いていない。脳の大半が絶望を受け入れているのだ。生命の安全が確保された聖域にいながら、かれは、おそらく生まれてはじめて死を体感していた。外界のすべてが他人事のように感じられた。 蛍のような淡く赤い光が眼前に浮かび上がる。非常用回路が接続され、一部だが光が戻ったのだった。かれは生物としての本能で光に反応した。かれの瞳――瞳孔を確認した電脳素子は保存されている情報との同一性を照合、確認。自身の状況を網膜上に文字情報として映し出し、さらに音声情報を伝える。 脚部のダメージ四五パーセントを突破左腕を破棄右腕の稼働域三七パーセントに低下主砲副兵装を装備沈黙再生装置順調に稼働敵性存在接近危険危険回避回避………―― かれは自分の生命確保に必要な情報を遮断した。同時に励ますことを目的に発せられた音声も途絶える。 だが、かれの生命はいまだ保全されていた。たとえ情報を遮断しようと、かれの生命を保全するという最上級命令は効力を発揮しているのだ。そして、そうだからこそかれはここにいる。 教師のひとことが発せ終わる前に黄色い悲鳴が響いた。もちろん教室内からではない。隣のクラスからだ。 教壇に立つ決して高評価を受けない教師はわずかに表情をゆがませたが、あまりに微量な変化だったため、ほとんどの生徒は気づかないままだった。いや、たとえ盛大に変化させても気づかなかっただろうし、また気づいたとしても気にとめなかったことだろう。かれらの心の大半は、きょう、突然やってきた転校生にさらわれている。自分たちのテリトリーに進入してきた異物に興味を持たない人間はどこにもいないのだ。たとえ表面上は無反応でも、内心は定かではない。 だが、その貴重な例外がここにいた。挨拶を終え、誰も彼もがひとめ侵入者を見ようと隣のクラスへ殺到する中、高梨公(たかなし・こう)だけは不足する睡眠時間を埋め合わせようと机に突っ伏した。周囲がいつも以上に騒がしかったが、かれに魔の手を伸ばす睡魔の影響力を振り払うほどではない。これが悪魔を討ち滅ぼす伝説の魔法であれば話は別だったが、この世界に魔法を使える人間はひとりも存在しないのだ。 先日発売された有名RPGゲームのやりすぎで疲労をため込んでいた脳と身体は、かれの休息を歓迎するように活動を段階的に低下させていった。まずはまぶたが、次に全身の筋肉が、最後に脳が、眠るための下準備を整えてゆく。このまま何の妨害もなければ、一時間目がはじまるまでの貴重な十分間、かれは最高の快楽を貪れるはずだった。 「ちょっと高梨くん。眠ってるヒマがあるなら課題をちゃっちゃと終わらせてよね?」、 もちろん世の中そう上手くはない。 頭上から響き渡る(迷惑な)女神がかれを悪魔の手から救い出したのだった。 「もう高梨くんだけよ? だいたい提出は先週なんだから、もう待てないって先生が」 「……うーるーせーえーなぁー」地獄のそこから這い出たような声でかれは言った。 「うるさいって、何よ」 「そーのーまーまーだー」 一字一句、間違えないように、恨みを晴らすために悪魔的な所業を行う少年のようにかれは言った。実際そうするだけの理由があった。睡眠を邪魔されるのは、天才的な運動センスを持つ高校生でなくとも許されないことなのだ。 「あーもう、訳判らないこと言ってないで、とっとと提出してよね」 「面倒くさい。やだ。眠い。寝たいんだよ俺はっ」 「寝るのは後でも出来るじゃない」 「授業中に寝ていいのかよ?」言葉を交わす内に、眠気が覚めてしまったのか、かれの発音は徐々に鮮明となってゆく。同時に、とげも強くなっていった。 「んー、次は英語ね。寝てたければ寝てていいけど」 「だから寝ているのに……」 かれらを受け持つ英語教師は、やたらと厳しいことで有名だった。いまとなっては化石なみに貴重な、バケツを持って廊下に立たせるという罰を下すという特徴がある。さすがに水を入れることはしない。前に――公がこの学校へやってくる前に――問題となったからだ。 その教師の前で居眠りなどしようものなら、まず間違いなく廊下に立たされる。そしてそれは、あまりに恥ずかしい。あのような恥辱は、一度受ければ充分だった。 「だったら、さっさと出してよね?」 声の主は相変わらず容赦ない。おそらく拳を両腰にあて仁王立ちになっているのだろうとかれは思った。その通りだった。 「こうして何度も何度も言わないと、高梨くんって何もしないんだから」 私立相原南学園一年三組委員長、北園美佐子(きたぞの・みさこ)はチャームポイントであるおさげとフレームレスの眼鏡、さらに不良生徒を叱責するよいう典型的な出で立ちでそこにいた。あまりにも型にはまっているので、誰でも初対面でも彼女が委員長であると理解できる、というような話さえささやかれた。もちろん、一部事実であったりする。 公は彼女が苦手だった。出来れば会いたくない人物ベストファイブに入っている。休日に会ったりでもしたら、休日の活用法に小言を言われそうなイメージがあった。もちろんそれは偏見だった。だが、それを打ち消せるほど彼女とのコミュニケートは多くない。 「明日にやる」 「駄目」 「……ぐーぐー」 「そう言う判りやすい寝たふりやめて」 「でもよう」 ついに顔を上げたかれは、困惑した表情を美佐子に向ける。 「なに?」彼女は小首をかしげた。重力にひかれて、おさげが肩に掛かる。 「やっぱいい」 「よくないーっ!」 ボケに必要な溜めも前振りも無視したかれの反応に、美佐子はつい手が出てしまった。本当につい≠ニしか言いようがない衝動が発生したのだ。軽く振り上げた掌でかれの頭を叩く。軽い、中身の詰まっていない音が響いた。ぐえ、というよくある呻き声を公が漏らすと、もはや日常となったやりとりが始まる。 立ち上がり、あらん限りの罵倒の言葉を並べる二人のやりとりを、周囲はやや冷めた目で見ていた。 当事者たちの感情と第三者が持つ感情は、往々にして食い違うものなのだ。 容姿の良い部類に入る彼女に男っ気がないのも、無理からぬ話だった。 かれがここまでして課題の提出を固辞したのには訳があった。 もちろん、課題を提出しなければならないことは熟知している。そうしなければ在学資格が停止され、最悪で退学措置が執られることも判っている。が、なかなか課題をクリアしようという気になれなかった。かれの持つ感情が最大の壁となっていた。 私立相原南学園は一般に言われる人型ロボットのパイロット養成校だった。パイロットあるいは技術者資格と高卒資格の得られる学校として、日本ではそこそこ名の知れた学校だった。もちろん、上位の国立校や軍付属校に比べればランクは落ちるが、数少ない私立でありそれなりの技術を習得できるという、中流階級向けに作られた学校であるため、もっとも生徒数が多い(だからといって、特段パイロットや技術者が多いわけではない) 一般的な青年男子の感性からこの学校を選択した公であったが、最近、その選択を後悔するようになっていた。 言うまでもなく、いわゆるロボットを扱うため、どうしても肉体的な負荷が高い。あだ歩かせるだけでも大量に体力を消耗する。加え、全高七メートルに達するそれは、見晴らしが良すぎる傾向にあり、身長よりも高い場所を得意としないかれにとって、精神の消耗も激しかった。 上達しない技術、肉体的にも精神的にも損耗の激しい訓練、そしてなにより順当に成長してゆくクラスメートに決定的に立ち後れた自分を見続けた結果、かれは、もはやロボットというものに興味を持てなくなっていた。自分が落ちぶれてしまったのだと、気づいてしまったのだ。 結果、かれの成績は目に見えて下降線を辿っていた。課題の提出率は規定値ぎりぎりであったし、出席日数も不足傾向にあった。登校しない日は町中で時間をつぶし、眠りが訪れるまで夜の界隈を歩き回ることもあった。 課題を行えば、どうしても弱い自分と対面しなければならない――まじめに勉強をしてこなかった自分が、課題など解けるわけもない。 かれはそう考えていた。 そして、そう考えてしまうだけの時間を、浪費していた。 放課後、逃げるように教室から飛び出したかれは、いつものように街に出ていた。 何もすることがない。 徒党を組むわけもなく、何か破壊的な衝動を巻き起こすこともない。ただ歩くだけ。何も考えず、何もしゃべらず、前だけを見て、時間を消費してゆく。かれにとって、唯一、学校のことを忘れられる時間だった。こうしてくたくたになるまで歩き、部屋に戻り、熱いシャワーを浴び、睡魔に身をゆだねる。そうしなければ眠れないのだ。それでも眠れないときは、今日のように、眠らないようにゲームを続けるしかない。中途半端に眠ってしまえば、悪夢を見そうな気がするからだった。 天球上から徐々に赤みが消えてゆき、地平で星がきらめき始まるまで、かれの歩みは止まらない。道行くひとはかれに視線すら送らず後ろに流れ、スピーカーから垂れ流される音楽は脳に記録されないまま消滅する。 「あの……」 目の前で立ちすくむひとりの少女を避け、決まったルートで家路につくことにした。 さすがに、きょうは疲れていた。徹夜と、朝方あった委員長との口論は、授業の大半を睡眠時間に当ててもなお取れないだけの疲労を蓄積させていた。 「あの、すいません!」 「……?」 先ほどよけた少女が、公に話しかけていた。 周囲のひとびとは、何事かと彼に視線を向けている。かれは大量の視線になれていない。胃がむかむかしはじめた。 かれは視線を降ろし、何かに必至になっている少女に視線を向けた。多少恨みがましいものが混じっていたとしても、仕方のないことだった。 「なんだよ?」 「あ、ああ、ああああのっ、わたしが見えるんだすか!?」 何を言い出したんだこの電波娘、とかれは思った。 長い髪、おそらくブロンドだろうそれは、星明かりの中でひときわ目立つ輝きを持っている。対して瞳は黒い、ただ一色の黒。背丈は自分の半分ほど、つまり一メートルあるかないか。小学生と言われれば納得できる。ただひとつ、服装を除いては。 「何を――」何を言っているんだとかれは言いたかった。が、言葉は喉に張り付いて動かない。 奇妙な服装をした少女というより幼女は、必死そうな目でかれを見つめた。 「助けてください! 地球が危ないんです!」 かれは――かれは、逃げ出したい気持ちを賢明に抑えた。この幼女が言わんとしているところを、必死に理解しようと心がけた。助けてください? それは判る。でも地球が危ないから? なんだそれは、罰ゲームか何かなのか。それともからかっているのか、いやいや、やっぱりこいつは真性の電波という奴で…… 「いまこのときも、あのひとたちが地球を狙っているんです。出来れば先制を取りたい、そうすれば守りやすいですね。でも、でも、みなさん聞いてくれないんです。みんな私を無視するんです!」そりゃあ無視するだろうとかれは思った。言葉にはしなかった。言葉に出来るほどかれの混乱はとかれていない。 「でも、でもリーネはようやく見つけたんです! あなたを!」 そう言って幼女、おそらく名前をリーネと呼ぶのだろうは、公の顔をズビシとさした。何故だかかれは、自分がとてつもなくまずいことしてしまったのではないかと思った。背筋に冷たいものが流れる。悪寒というべきか、虫の知らせと言うべきか、いますぐ回れ右をしてこの場から立ち去れと理性が叫んだ。ようやく主導権を取り戻した思考もそれに同意した。肉体は行動をはじめるに若干のラグがあったが、それでも三者は同意に達した。 別れの言葉は不要だった。そのような感性をかれは持ち合わせていない。 幼女の話を無視し、回れ右をしたかれの目の前に巨大な壁が発生したのはまさに同時だった。 「ああ、遅かった!」リーネは悲劇的な叫び声を上げた。 動揺する間もなく何かを突きつけられたかれは、壁に沿って視線を持ち上げ、絶句した。かれの存在を不思議に思っていた周囲のひとびとも動揺だった。そこに現れたのは、かれらもよく知るものだった。だが、登場方法が常軌を逸していた。何もない空間から現れる巨大のロボットなど、見たことも聞いたこともなかったからだ。 ロボットを見慣れたはずのかれも同様だった。更に言えば、明らかに大きすぎるのも要因のひとつだった。 通常、かれらが操るロボットは大きいものでも十メートルを超えない。目の前に現れた、ロボットと言うべき何かはそれの倍――二〇メートルはありそうだった。いや、もっとあるかもしれない。 「こんなに早く来るなんて……仕方ありません」 あまりの衝撃のため誰も動けない町中でひとり、リーネは気を吐いた。こうなったら仕方がない。他に執れる手段もないですし…… 「あなた、そこのあなた!」 ズビシと、公の膝裏を指で突くリーネ。かっくんと膝おれるかれに対し、リーネは言った。 「逃げましょう!!」 大騒動だった。 大騒動だけですまされるものではなかったが、もはや他の形容詞が見つからない。町中に突如現れた巨大ロボットは、無言のまま建物を破壊し始めたのだった。瓦礫が道路を埋め、ひとびとの悲鳴が木霊する中、かれは幼女に手を引かれ郊外まで走って逃げてきたのだ。罪悪感がなかったといえば嘘になる、しかし、だからといって何かできたかと言われれば何もない。 あの巨大ロボットを相手にするには、あまりにも非力すぎる。 「まったく……いきなり非友好的活動を行うなんて……」 「な、なん……だあよ、それ……」息も絶え絶えなかれと違い、リーネに疲労の色はない。 「えっと、つまり、破壊活動のことです。いわゆる政治的用語のひとつですね」 魅力的な笑みで彼女は応えた。 「わけわかんねえ」彼のつぶやきは万人が同意するものだった。 突然現れた巨大ロボット。突然はじめた破壊活動……ではなく、非友好的活動。謎の電波娘。判らないことだらけだった。唯一判るのは、このリーネという幼女が、事実のいくらかを知っていると言うことだった。 「何なんだよ、アレは?」 直接的にかれは聞いた。 リーネは断定的に答えた。 「あくのひみつけっしゃです」 「……もう一度、頼む」 聞き間違えであって欲しかった。 「あい。悪も秘密結社、です!」 流星が一筋、闇夜に光を掃いた。その光の下で、あの巨大ロボットは非友好的活動を続けているはずだった。上空から遠雷に似た衝撃音が降ってくる。軍の部隊だろう。非友好的活動には、非友好的なんちゃらで対応するつもりらしい。かれの通う学校からも、実戦部隊のいくつかが出るはずだった。パイロット養成校には、消防で言うところの消防団的役割も担っているからだ。 「で、その悪の秘密結社がどうして?」 「簡単です。それが、悪の秘密結社が生き延びる、ゆいつの方法だからです」 「説明になっていない」ロボットたちの狂想曲が奏でられているであろうシアターを凝視したまま、かれは言った。「なんであんなぶっ壊しているんだ、って聞いてるんだ」 「壊す、ではありません。非友好的活動です。まあ、考えても見てください。この不景気、利益を上げるにはよほどの努力が必要です。あるいは、発想の転換が」 「んん?」 「つまり、です」リーネはできの悪い教え子に、基本的な理論を教えるような新任教師のように言った。「経済活動なんですよ。地球を侵略し、利益を得る。それが、秘密結社の経済活動なんです」 「はあ?」 「そして……そうですね、わたしたちは、そうした、まあ、不正活動を監視する国家公務員みたいなものです」 公はもう話しについていけなかった。 かれの理解度を調べようともせず、彼女は話を続けた。曰く、あそこの秘密結社は最近、どうも羽振りがいい。そこで調査をしてみると、いろいろな異世界で略奪をしている。で、本当なら監査局が手を下すんですが、賄賂を送っていて手出しできない。さらに侵略については法律違反ではないので、侵略を理由に立件は出来ない。しかし職務上、侵略行為を見逃すわけにはいかない。どうするか。 「ここで追い払えばいいわけです。そうなりますと、秘密結社にとって都合の悪い世界と言うことになり、自然と、来なくなる。リーネたちの仕事は、ああいう違法な秘密結社にちょっと痛い目を合わせて、健全な企業活動をするよう方向転換させる、というわけです」 「で、まあ話は他に置いておく」 「置いておかないでくださいよ〜」 「いいんだ。判らなくても。それで、あの巨大ロボットはどうするんだ?」 かれは、狂想曲も終盤になった舞台を指さした。そこには、活動を止めることの出来なかった、軍と学校の部隊が無惨な姿をさらしている。先行部隊がやられたのを受けて、おそらく、強力な機工部隊が派遣されるのだろう。このあたりも戦火に晒されるのは間違いない。 学校にたいした愛着を持っていないかれであったが、街そのものはむしろ好んでいた。このまま座視すれば、すべてが灰燼に帰してしまうかもしれない。そう思うと、胸の内から熱く黒い何かが浮かび上がってくる。 「ええ。このまま何もしなければ、あのロボットはひどいことをしてしまうでしょう」 「じゃあ」 「じゃあ戦ってくれますか?」 年齢以上の決意を秘めた瞳で、リーネは公を見た。 そこに遊びなど欠片もなかった。真剣な、ある種、職務を全うすることに全生命力をかけたひとりの人間として、公を見ていた。いや、にらみつけていた。 「戦う……?」 「そうです。あなたが――どうやら位相が若干ずれたみたいで、あなたとしかコミュニケーションできません。あなただけです。あのロボットを追い払えるのは」 「どう、どうして、そんな」 軍から強力な部隊が現れれば、何とかしてくれるんじゃないか――かれの言わんとした言葉は、しかし、リーネによって否定される。 「異世界のロボットは、異世界の力でしか追い払えません。たとえ、この世界で一番強力な爆弾を使っても」 「……」 「そして、あなたは、そんな強力な爆弾よりも強い力を使って、あのロボットを追い払うんです」 「どこにそんなのがっ!?」 「あります、ここに――」 瞬間だった。人間には近くできないレベルの時間で、かれは、空にいた。 『いいですか、時間的な問題ですべての説明を省きますが――』 「いやちょっと待て!」 突然みょうな場所につれてこられた公は、リーネの不穏当な発言に異を唱える。 「最低限説明はするものなんじゃないのか?」 『すみません、どうにかしたかったのですが』彼女の声には謝罪しようと言う感情がまったく込められていない。『時間が時間ですので、このまま行きます』 「待てってば!」 公は叫びながらながら自分の状況を確認しようとした。そこは奇妙な場所だった。奇妙、としか言いようがない。自分の身体は半分も空間に出ていない。前方は半球状になっていて、完全に視界が確保されている。対して後方は完全に壁となっていて、まったく視界はない。困ったことに、身体の半分がこの壁に埋まっているため、身動きが取れなかった。 『すみません。やっぱ位相がずれてて……いきます』 さらりととんでもないことを言うと、軽い衝撃が全身を揺さぶった。 視界が上下し、わずかに前進したことが伺えた。 「なんなんだ?」 『ええと、このまま戦闘しますが準備を整えてください』 「ええっ!?」 頭の方から聞こえるリーネの声に、かれは絶望しそうになった。訳の分からぬまま妙な場所に閉じこめられ、しかもいまから戦闘を行う――ちょっと待て、それは政治的用語なのか? 『戦闘は政治の舞台でも使うので。まあ政治的用語っていうのは、問題をなるべく小さいままにしたいときにつかう、言い換えですし』 「そう言う説明はするのに、状況説明がなああああああ」 『しゃべらないでください、高速移動中は舌を噛んで危険です』 「はやくいえええええええっ!!」 加速した。風景が高速は後ろに流れてゆく。前方にあの巨大ロボット――近い。というより、近づきすぎではないかと思った瞬間、さらなる衝撃がかれを襲った。 「うげぇぇぇっ」 『体当たりしました。いまのはダメージ56くらいですね』 「気持ち悪りぃ……」 かれは完全に乗り物酔いしていた。リーネの攻撃は滅茶苦茶だった。体当たりはいい、だが、するまえに一言あって欲しかった。 「つーかおれの意味は!?」 『わたしの存在確率を高めるためと、あとバックアップ』 「主人公なのに!」 『時間なんです。予算難です』 自分が何に乗っているのかいまだ理解できぬうちに、戦闘がはじまっていた。体当たりの直撃を受けた巨大ロボットはしりもちをついて倒れたが、ダメージを受けた様子はない。装甲板には傷ひとつついていないのだ。 巨大ロボットは公の存在を認識したらしく、顔をこちらに向け、ゆっくり立ち上がった。 「なんであのあと追撃しなかったんだ?」 倒れているときにマウントポジションを取れば、一方的に攻撃できたはずだ。 『出来たらいいんですけど、あのロボットは胸から強力な攻撃をするので……それは難しいです。基本的に遠くからのヒット・アンド・アウェイがリーネの得意戦術ですので』 「ふーん、で、これからどうするんだ?」 ヒット・アンド・アウェイは判った。ではいまから再び距離をとり、体当たりをするのだろうか。いくら何でも同じ攻撃は通用しないだろう、とかれは思った。相手が遠くに離れられないように、格闘戦を挑んでくるのかも知れないな。 かれの認識は正しかった。 巨大ロボットは一気に間合いを詰め、右腕を振り上げる。 「うおっ、当たる当たるって!」 『防御してください!』 出来なかった。 出来るはずがなかった。 無防備な状態で突っ立っていたかれらは、右ストレートを思いっきり受け止め、優に数十メートル吹っ飛ばされた。 「ぐお……」 体当たりの時とは比べものにならない衝撃と痛みがかれの全身を叩いた。 『なんで防御しないんですかぁ〜』 リーネの痛そうだった。 「出来るかよっ!? やり方聞いてないし」 『ええっ!? でもロボット学校に通っているんでしょう? 制服がそこですよ』 「いや、行ってるけど……」 『まさかオチこぼれですか』 「ぐ……」 『そんな、図星だなんて』 言い争いが出来たのはそこまでだった。追撃にやってきた巨大ロボットの右腕が、ふたたび彼らに襲いかかる。 『今度こそよけて!』 「どうやってだよぉっ!?」 右、左、と繰り返し繰り返し攻撃を受け続けるうち、自分はなんでこんなことをやっているのだろうとかれは思った。 操作方法も判らないまま、よけろ、防御、攻撃と言われても出来るわけがなかった。 「いい加減帰りたいんだけど……」 『だめですよお、せめて、一勝するまでは』 「だったらどうやって動かすか言えってのぉ!」 『勇気と努力が勝利を呼ぶんです。つまり精神力。思った通りにわたしは動きます!』 「うおおおぉぉぉぉっ!」 もはや叫ぶことしかできない。 しかし、その叫びに呼応して、徐々に動き始める。 『その調子です!』 「うっひょぉぉぉぉぉ!!!」 足が動いた感覚があった。おそらくディスプレイの機能を持つ半球状の物体に、脚の部分が映し出され、それが巨大ロボットの側頭部に当たる。視界が左にずれる。垂直状態が保てない。どうやら右脚らしい。慣性に従って身体が動く。 砂埃を巻き上げて巨大ロボットが地に伏せる。 『やりましたよクリーンヒットです。ダメージは156くらい!!』 リーネは大喜びだった。だが、かれには喜びを味会う余裕は一部もない。 「どうするんだ、これから」 『相手は虫の息、必殺技でトドメです!』 高揚しているのか、物騒なことを言い出すリーネ。だが、かれはその言葉に同意した。こんな茶番は、さっさと終わらせなければならない。 「よし、じゃあ行くぞ!」 身体が勝手に反応した。 どこからともなく音楽が流れてくる。電波の混線が起こっているのだ。ロボットアニメがちょうど始まったらしく、主題歌がかれにも届けられたのだった。加熱するかれの思考はついに、必殺技を編み出す。 「行くぞ! 熱血!」 『必殺!』リーネはノリがいい。 「友情パゥアー!」 『食らえ、必殺の――』 跳躍。 上弦の月を背景にかれらが舞う。破壊された町の上、正義の鉄槌を悪のロボットに下すため。 上空数百メートルで反転。きりもみしながら重力加速度にさらに速度を上乗せする。高速回転する身体のあちこちから飛行機雲を引き連れ、地表に接近。 ふたりは叫んだ。 『バーニング・セイクリット・ストライーック!!!!』 「名称未設定必殺技いちぃぃぃぃぃx!!!!!」 すべてが終わり、ふたりは、郊外にある公の部屋にやってきた。 必殺技は成功した。名前はどうでも良かったのだ。ただひとつ、力関係が明確に逆転したことを除いて。 「で、これからどうするんだよ」 コーヒーにしようかジュースにしようか悩み、ジュースかったため砂糖をたっぷりいれたコーヒーを差し出し、彼はリーネの前に座った。ふたりともシャワーを浴びたので、汚れはない。 「まあこれですべてが終わりではないので、次もあります」 手渡されたカップを両手で持ち、乳白色の液体に視線を落とす。 「次ってなあ」 かれは頭をかいた。 「ばーにん」 「あわわわわ、やめてください泣きますよ!」 「せいくり」 「ひぃぃぃぃ!」 「帰れ」 「ひどいです! 鬼、悪魔!」 「すとら」 「あやっややややや」 「まさか居座るつもりか?」 「そのまさかです。こうなれば毒をくらわばなんとやら、です」 「それはこっちの台詞」 「それに、どうやら公さんはロボットの操縦がへたくそのようですから、リーネが教えて差し上げます」 「教えるってなあ……あんなはずい台詞を言うのか?」 「台詞は関係ありません!!」 だが、たしかに自分はロボットの操縦がへたで、進級すら危ういのは事実だった。 正体はどうであれ、ロボットに詳しいのは確からしい。進級進学のため、このリーネを利用するのもいい考えではないか。いやもちろん、同居するなど言語道断だが。 「大丈夫です。押入のひとつもあれば、そこでじゅうぶんですから」 「押入?」 「はい。居候はそこで眠るのがしきたりですので」 何故か自信満々に答えるリーネを前に、かれは結局、彼女の間借りを了承するのだった。 この娘は一体何者なのか――という疑問は抱いたが、それ以上に、このままでは学校を退学させられてしまうという危機感が上位にあった。好きで入った学校なのだ。このまま捨て去ってしまうのは、あまりにもったいなさ過ぎる。 かれにとって世界とは、学校とこの町であって、それ以上ではない。 そしてこの街と学校には、かれの大好きな、ロボットがあるのだった。 おわる |
atogaki 某所の集まりに出した掌編。 言うことは特にありません。テーマが「ロリ」ということで、ロボットが思いつき、更に学園だよなという誘惑が働き、ツンデレ委員長は必須だよなと有機的に連結され、化学反応を起こしました。 ちなみにドジっ娘幼馴染み(年下)も出る予定でした。つーか、同居してロリといざこざ起こす予定でした。そこへ敵方の(省略されました。続きを読みたい方はご自身の黒歴史を紐解いてください) ごめんなさい(ぉ ちなみに書き上げたのは、2006年7月です。ちょうど半年前。……何やってたんだろう、自分は。もうその頃の記憶がほとんどない(死 ロボットの操縦(描写)は難しいね、という話でした、まる。 2007/1/18 |
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