先週から降り続く雨は、いっこうに雨脚を弱める気配がなく、町をくすんだ色に沈めていた。 商店街や広場には人通りがほとんどなく、閑散としている。店先を彩る数々の野菜や果物も、どことなく鮮度が落ちているような錯覚を感じさせた。もっともそれは、威勢のいい店主のかけ声も空回りしているからだったからだが。 主要街道から外れた場所にあるこの町に、オン・オフシーズンの区別はないが、この時期、旅人の数は少ない。そうだからこそ、住人は多数の旅人を誘致しようと、イベントを立案し、いつも以上に商売に励んでいた。 しかし、一週間も雨が続けば、旅人の多くがよく整備された街道を選択するのは無理もない話だった。誰だって、泥にまみれながら歩くより、多少ズボンの裾が濡れる程度で済む道をゆきたくなる。その先に大都市があるのであれば、なおさらだった。 銀糸というより雨粒が確認できるほどの雨の中、街は、わずかな自然の協奏曲を肴にし、静寂を味わっていた。 「あーっ、暇だーっ!」 店の中心で暇を叫んだライは、椅子の背にもたれると、全身の筋を伸ばした。 気泡が爆ぜる心地よい音は、しかし、ライのいらだちをなくすまでには至らない。一週間近く、知り合いの食事を用意する以外、まったくと言って良いほど仕事がなかったのだ。就労意識の強い人間は、働けないことを苦痛と感じるのが、彼はまさにその一例に合致していた。 椅子の上であぐらをかき、寝癖のついた髪をがしがしと掻き乱しながら、何かやることはないかと考える。何かやることはないかな、何か。 調理道具はぴっかぴかに磨いてあるし、包丁はトマトだってすぱすぱ切れるくらいちゃんと研いである。掃除は完璧。というより、リビエルがチリひとつ見落とさないから、汚れようがない。ベッドメイキングもやってあるし……あとは新メニューの研究……うーん、研究。 「新メニュー、いやでも、最近作ったばっかりだし……あーでも、シーズンごとのメニューとか、突発的とかイベントとか、そういうのでもいいんじゃないかなあ」 あとは店の模様替えとか。 「いやいいや」と、ライは立ち上がり、踵を返して調理場へ向かった。「考えていても始まらねぇ、ここはやっぱ、動いてみるのが一番だな」 そう思い立つと、いままで何を悩んでいたのかをすっかり忘れてしまった。 かけてあるエプロンを身につけ、手を洗い、いまある食材を確認。生鮮食品や果物はあまりない。代わりに、根菜類、缶詰、調味料、香辛料、などなど。保存の利く物が多い。 「んー……あんまりないな。お客さんも少ないし。それに、この季節、すぐに使い切っちゃわないと、かびちゃうからな」 ライは、つい先日のことを思い出していた。雨はもうすぐ上がるというコーラルの言葉を信じて、野菜を大量に買い込んでおいたのだが……結果から言えば、やむことなく雨は降り続けた。お客と言えば、昼飯を食べに来たグラッドくらいだった。 食材自体はライと居候の皆様でおいしく頂いたが、コーラルにはしばらくの間、野菜づくしの料理が振る舞われた。 それ以後、ライは食材の計画的な購入の必要性を実感し、実行に移している。今日、ほとんど食材がないのはそのためだった。さすがに、食事があるごと肉を欲しがるコーラルの視線に、絶えられなくなっていたのだ。 いくつか果物を手に取り、調理台の上に並べる。右からキウイ、スイカ、バナナ、ナシ……季節感の統一がまったくなかった。 「駄目だな……」 首を数回左右に振り、ふとナシを取る。ちょうど良く熟れた果物特有の、甘い香りが漂ってくる。 一口かじる。 「おいしい……ってそうじゃない!」 「……あんた、何やってんの?」 「うおっ……ってなんだ、リシェルかよ」 突然の声にびっくりして振り返ると、帽子の端から水滴を滴らせたリシェルが、呆れた表情で立っていた。 「なんだ、とは何よ。なんだとはっ」 かすかに語気を強めたリシェルは、睨みを利かせながら近づいてくる。 「うおぉっ、別に、そんなんじゃないって」 「別にぃ!?」 「あ〜、怒るなよ。悪気とか、そんなんじゃねーんだし」 「まったくもぉー、お店の景気が悪そうだから冷やかしに来てあげたのに、何ソレ? それがお客に対する態度なのぉ?」 「冷やかしかよっ」 「いいじゃない。どうせ暇なんでしょ?」 「暇っちゃぁ、暇だけどよ……って、何を勝手にくつろいでるんだ?」 視線の端に映ったリシェルは、ライの横を通り過ぎて客席に座った。 振り返り、魅力的な笑みを頬に刷く。 「何かおいしいものがほしいわ、店長」 「ただいま開店休業中ですよ、お客さん」腰に手を置いてライは答える。 「あら、それはよかった。丁度しずかな場所で甘いものを頂きたいと思っていましたから……」 「あーぅー」 ライはうめいた。言い合いでリシェルに勝てるわけがない。 天を仰ぎ、救いを求めるが、そこにあるのは蒸気や油で汚れた天井だけ。さすがに天井まで掃除の手は行き渡らない。いままでの積み重ね。成功も、失敗も、それはいつも見下ろしていた。茶色い天井。茶色……茶。 「わかった!」 「何が?」 「お茶にしよう」 「はあ……?」 ライの突拍子のない思考についてゆけず、リシェルは小首をかしげた。帽子のつばに縫い付けられたうさぎのぬいぐるみも、不思議がっている。 「ああ、紅茶。お菓子系はいくつか作ってるけど、紅茶ってあんまりやらないんだよな。手間かかるし」 「それで、紅茶ってわけ?」 「そう。ほしいんだろう? 甘いもの」 「そりゃあ言ったけど。ケド、何もそんな思いつきでやられると、ムカツクわぁ」 納得いかないと言った風体で腕を組むリシェルを尻目に、ライはなべに水を張り、火を放った。 「まあ見てろって。たぶんおいしくなるから」 「まあいいわ、待っててあげるから……ってぇ、まずかったら承知しないんだからねっ!」 「だいじょうぶだいじょうぶ、任せとけって」 「アンタの任せとけって、ちっとも信用ならないのよねぇ」 茶葉の入った小瓶を取り出し、茶こし、ティースプーン、カップを用意。リシェルはミルク多めが好みで甘党だから、砂糖と……いやまてよ。せっかくだから、あんまりやらないものを使ってみようか。 「おーい、リシェル」あんがい行儀よく待っている彼女に声をかける。「そこにあるキャラメルを取って」 「キャラメルぅ? 何に使うの?」 手に取り、調理場にやってきたリシェルは心底不思議そうに問う。 「つまみ食い?」 「違うって。キャラメルを使うんだよ」 リシェルからキャラメルを受け取ったライは、にぃと口端をゆがめて笑った。 充分に暖めたカップへ、キャラメルを溶かし入れた紅茶を注ぐ。 白い湯気と一緒に、甘い香りが立ち上がった。そこへ、甘党のリシェルは砂糖を二杯と少し、ミルクをたっぷり入れる。対してライは、砂糖を一杯に乳白色になる程度のミルクを注ぐ。キャラメルが入っているから、あまりミルクを入れなくてもまろやかに仕上がっているはずだった。 「へえ、結構おいしそうじゃない?」 カップから漂う香りに、リシェルは思わず頬を緩める。 リシェルの真向かいに座ったライは、いくつか茶菓子を並べながら答えた。 「まあな。けど、ミントねーちゃんには負けるけど」 「あったり前でしょう。アンタが紅茶で勝つなんて、百年たってもありえないわ」 さも当然と言った表情で彼女は断言した。 「う……確かに」 香りは出ているが、ミントの入れたものとは微妙に違う。もちろん使っている種類が違うし、キャラメルを入れたという違いはある。それでも微妙な違いを感じた。微妙。言葉に出来ない差がそこにある。 あるいは経験と言うのかもしれない。茶葉から接しているミントと、それをもらって淹れている自分。 「ま、いいわ。頂きましょう。紅茶が冷めちゃうわ」 「ん? ああ、そうだな」 たしょう落ち込んだ気分を奮い立たせ、カップを口元に運んだ。濃密な紅茶とミルクの香りの中に、キャラメルの甘いにおいが溶け込んでいる。 「……おいしい」 「おいしいな」 ふたりは同時に声を発した。 一口すすっただけで、おいしさが伝わってくる。茶葉が良いのか、淹れ方が良かったのか、それはともかくとして、試作品としては大成功だった。思っていたよりキャラメルの味はしないが、それはマイナスにならない。香りが充分に溶け込んでいたからだ。 「おいしいじゃない。これ」 ふたくち、みくちとカップを口元に運びながら、感心したように言う。 「ああ。言っちゃあなんだけど、おいしいな」 満足な出来に、ライも思わず笑みをこぼした。 「これならお店に出しても大丈夫なんじゃない? ああもちろん、発案者はあたしね」 「いやまだだな。確かにおいしいけど、おいしいってだけで出すより、何かもうひと工夫がほしい」 「……ふーん」 「おいしいだけ、ってのはよくあるんだよ。おいしい料理、おいしいお菓子とかな。だけど、それだけじゃ売れない。良いものだか売れるんじゃないんだって」 「へぇ、アンタ、意外に考えてるのね」 「まあな。俺も、経営者としての素質に目覚めはじめてな」 「まっさかぁ〜」 ビスケットをひとかじりしながら、リシェルは微笑った。 「ま、新メニューの候補に加えてもいいな。他に、もっといいものが出来るかもしれないし」 「……ねえ、ライ」 「なんだ? お代わりか?」 「それもあるけどね」と、リシェルは何かを企んだ目で笑う。 雨は相変わらず大地に降り注いでいたが、温かい紅茶と甘い香りが充満した室内は、別世界のように暖かく穏やかだった。甘い紅茶に甘いお菓子の組み合わせは、ライにはちょっと苦手だったが、決して嫌いではない。それらは時間の流れを緩やかにしてくれて、心を落ち着けさせてくれる。 こんなことなら、みんなを呼んでくれば良かったとライは思った。その考えは、しかし、リシェルの発言で覆されることになる。 リシェルはカップを両手で持ち、底に残った乳白色の液体に視線をおろした。残った紅茶をカップでもてあそびながら、小さな声で話し始める。 「ポムニットから聞いたんだけどね」 「ポムニットさん?」 ライは興味を惹かれたようで、リシェルに顔を近づける。 彼女はささやいた。小悪魔を連想させるとびっきりの笑みを浮かべて。 「うん。あのね、ファーストキスってさ、キャラメルの味がするらしいのよねぇ〜」 がたん、と大きな音を立てながら、ライは椅子から転げ落ちた。テーブルの上で、食器が甲高い悲鳴を上げる。 その様子を見ていたリシェルは、喉の奥で笑いを殺しながら、満足そうな表情を作る。彼女の思い描いたとおりの反応に、上機嫌の様子だった。 しかし、当のライはそれどころではない。顔の半分を真っ赤に染めながら立ち上がり、リシェルを見た。 「な、なにをいきなり言うんだ!!」 確実に一オクターブは高い声でライは叫んだ。たしょう語尾が震えていたが、誰も気にしない。 「ええ? 何か変なこと言った?」 狐につままれたような表情でリシェルが答える。 「言った何も――!」 ファーストキス云々は言葉にならず、口の中に消えた。ファーストキス。その言葉が頭の中でリフレインする。ファーストキス、ファーストキス、ファーストキス。ライの頬はさらに赤みを増した。 「だって、そうらしいんだってば」 「いや、だからって……」 「でさ、アタシ、考えたんだけど」 「ん?」 とりあえず落ち着きを取り戻そうと、椅子を直し、腰を落ち着ける。軽く深呼吸を二回。ちっとも落ち着かない。 「これってキャッチコピーに使えないかな?」 「何を」 鼓動を強めたままの心臓は、リシェルの顔を見ただけで更に勢いを増してゆく。見慣れたはずの少女の顔が、何故か、とてもまぶしい。 「ファーストキスの味、キャラメル・ティ……って。いけそうじゃない?」 満面の笑みで言うリシェルに、ライは、せめて初恋にしたらどうかと答えた。初恋もそれも、大して変わらないだろう、と。 だが、リシェルはかたくなだった。自分の思い付きが最高のアイデアだと確信してしまったらしい。 「だいじょうぶ、売れるわよ」 目を輝かせながら言った。 「いいえ、だいじょうぶなんかじゃなく、絶対よ。絶対に。完璧に。売れに売れまくるわ!」 盛り上がるリシェルとは裏腹に、ライは、気分が深く沈んでゆくのを感じた。売れるだろうとは思う。しかし、それをこの店で出してよいのか。雰囲気があってないんじゃないか。そもそも宿なのに、妙に喫茶店風ではないか――百もの疑問が浮かんでは消える。 やっぱり思いつきでやるもんじゃないな、とライは思った。思いつきでキャラメルを入れちまったから、こんなことになっちまうんだ。頭を抱えたくなるが、代わりにお菓子を食べることにした。残った紅茶を飲み干し、ビスケットをほうばる。 「ねえ、いいでしょ、新メニューに」 「ぇあぁ〜、う……ん」 髪の毛をかきながら、ライは、助けを求めるように天井へ視線をやった。いつも、何か騒ぎが起きれば呼ばなくてもやって来る居候たちは、こんなときに限って誰も下りて来ない。お菓子の甘い香りが立ち込めているのに、リビエルさえ来ないのは不思議だった。 もしかして計算尽くなのかな、と彼は不安を抱いた。最初からこうなることを予想して――いやまさか。 「ねっ、ねっ、どうなのよぉ」 テーブルに身を乗り出すリシェルを前に、もうこの紅茶は出さないようにしよう。そう、ライは心に決めた。 もちろん無理だった。 このキャラメル・ティは、リシェルのごり押しで新メニューに登場し、年頃の女の子に大ヒットするのだが、それはもう少し、先の話である。 owari |
atogaki 初のサモンナイトSSです。シリーズ通して、と言う意味で。 なんだかんだ言いながら、最後までリシェルを使ったのは、他に機属性の召喚師がいなかったせいでもあり、幼馴染み補正がかかったせいでもある。もっとデレるかと思いきや、作中ではあまりデレなかった意外なツンデレ(ぉ ある意味で潔いかも。そんな彼女の魅力をぜーんぶ表現してみました☆ ↑くぁーいく言ってみた(爆 某所の感想で「キs(略)」と言われましたが、最初の予定では、そりゃあもう、ぶちゅぅー……っと(下品) やる予定でした……が! 初サモナイSSでどうよそれ? という天の声が響いたので取りやめ。健全な作品と相成りました。 やっぱ幼馴染みは良いよう。ツンでもデレでも両方でも大丈夫だし。マルチキャラだよね。 2007/1/18 |
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